放電加工は、第二次世界大戦中のソ連でラザレンコ夫妻により発明されました。
元々彼らは、火花の発生(放電現象)によるスイッチの接点の磨耗を防ぐための研究をしていたのですが、研究を進めているうちに、発想を逆転させて、放電現象を防ぐのではなく、この放電現象を利用して金属を加工することはできないかと考え付きました。そこから放電加工の研究が始まり、彼らが開発した放電を発生させる回路は、夫妻の名を取ってラザレンコ回路と呼ばれています。
日本においては、第二次世界大戦後間もない頃から研究が始まり、1954年3月には国産の放電加工機第1号が誕生しました(この初号機の開発には、当社創業者の二村昭二も参加しています)。
初号機が製作された場所(神奈川県川崎市高津区坂戸3丁目)は、現在かながわサイエンスパーク(KSP)の敷地となっていますが、「放電加工機誕生の地」として石碑が立てられています。